元プロレスラーで、参議院議員を2期務めたアントニオ猪木さんが2022年10月1日、自宅で死去したとのことです。
今回はアントニオ猪木さん(79歳)の若い頃のプロレス界での活躍をご紹介致します。
アントニオ猪木の若い頃がイケメン!
1943年生まれで、今回亡くなったのが79歳ということですが、若い頃がイケメンとの情報です!
5歳の時、亡くなった父に代わってアントニオ猪木さんを育てた祖父の寿郎さんと写っている写真がこちらです。
中学時代はブラジルに移住していおり、その時コーヒー園で労働に従事していた時の写真がこちらです。
すでにガタイが大きいですね!
その後プロレスラーの力道山さんにスカウトされて、日本に戻り1960年9月にデビューしたアントニオ猪木さんがこちらです!
まだ筋肉等は無く、普通の体型ですよね。
そして、1964年からアメリカ修行に行ったアントニオ猪木さんですが、帰国後1966年に東京プロレスを設立し、ジョニー・バレンタインさんとの試合で名声を得ました!
その時の写真がこちら。
東京プロレスが破産し、日本プロレスに復帰したアントニオ猪木さん。
1969年にUNヘビー級王座を獲得した時のしゃしんがこちら。
度重なる日本プロレスとの確執から、アントニオ猪木さんは27歳の時に追放処分となりました。
その後1972年、28歳の時に新日本プロレスを設立した時がこちらです。
ここまで若い頃(20代まで)の写真をご紹介致しました!
アントニオ猪木の筋肉がエグい!
アントニオ猪木さんの筋肉がエグいとの情報です!
20代までの写真だと、そこまで感じませんでしたよね。
しかし30代の時の、1978年秋、ローラン・ボックさんとの試合の時の写真がこちらです!
腕の筋肉がすごいです。
1984年のMSG タッグリーグ戦で優勝した、アントニオ猪木さんがこちらです。
ますます筋肉が際立ちます。
こちらの写真も筋肉がエグいです!
アントニオ猪木さんの練習量はすごい量だったようで、「あれほど練習するレスラーはみたことがない」という意見が多かったようです。
新日本プロレス時代を知る人の中には、「足のつま先から指先まで筋肉が闘魂を語っていました。」と賞賛する声もありました。
アントニオ猪木の全盛期はいつ?
アントニオ猪木さんはプロレス全盛期を築いた人!という印象も強いですが、アントニオ猪木さん自身の全盛期は一体いつなのでしょうか?
アントニオ猪木さんには多くのファンがいて、人によって全盛期がいつなのかという意見は分かれます。
広い期間でピックアップすると日本プロレスに復帰してからの1969年から1979年の、ボブ・バックランドさんに勝利し、日本人初のWWFヘビー級王座獲得した時と言われています。
- 1969年5月 、第11回ワールド・リーグ戦初優勝
- 1969年12月、NWA世界王者ドリー・ファンク・ジュニアさんに挑戦し60分ノーフォール引き分け
- 1970年8月、NWA世界王者ドリー・ファンク・ジュニアさんに再挑戦しジャーマン・スープレックス・ホールドで1本奪うも時間切れで引き分け
- 1971年3月、ジョン・トロスさんを破ってUNヘビー級王座獲得
- 1971年5月、第13回ワールド・リーグ戦でジャイアント馬場さんと勝ち点で同点だが優勝は逃す
- 1973年12月、ジョニー・パワーズさんを破ってNWF世界王座獲得
- 1974年3月、元国際プロレスのエースでIWA世界王者だったストロング小林さんにジャーマン・スープレックス・ホールドでフォール勝ち
- 1974年10月、デビュー戦で敗れた大木金太郎さんにバックドロップでフォール勝ち
- 1975年6月、タイガー・ジェット・シンさんからNWF世界王座奪回
- 1975年12月、ビル・ロビンソンさんと60分時間切れ引き分け
- 1976年2月、ウィリエム・ルスカさんにTKO勝ち
- 1976年6月、モハメッド・アリさんと15ラウンド引き分け
- 1976年10月、アンドレ・ザ・ジャイアントさんにレフェリーストップ勝ち
- 1976年12月、アクラム・ペールワンさんにドクターストップ勝ち
- 1977年8月、ザ・モンスターマンさんにKO勝ち
- 1978年2月、ネールデスマッチで上田馬之助さんにKO勝ち
- 1979年11月、ボブ・バックランドさんを破り日本人初のWWF王座奪取
- 1980年2月、スタン・ハンセンさんに敗れNWF王座を失う
この1980年2月のハンセンさんとの防衛戦。
アントニオ猪木さんは必殺技アントニオ・スペシャル=卍固めを繰り出したました。
しかし、ハンセンの物凄いパワーで卍固めを外されてしまいました。
焦ったアントニオ猪木さんがエプロンに這い上がって来たところにハンセンさんがウェスタン・ラリアットを決めてアントニオ猪木さんはリングアウト負け。
この瞬間にアントニオ猪木さんの全盛期は終ったという意見がありました。
アントニオ猪木の引退試合はいつ?
アントニオ猪木さんの引退試合は1998年4月、東京ドームにて行われ、お相手はドン・フライさんでした。
なんと7万人の観衆を動員し、猪木コールの大合唱だったそうです。
引退試合で見事、アントニオ猪木さんは勝利し、引退試合を勝利で飾りました!
まとめ
今回はアントニオ猪木さんの若い頃のプロレス界での活躍をご紹介致しましたが、いかがでしたでしょうか。
アントニオ猪木さんのご冥福をお祈りいたします。