本記事では、小堺一機さんの経歴と学歴についてご紹介させていただきます。
一体どんな経歴や学歴を歩んできたのでしょうか。
本記事にて、深堀りしてまいります。
小堺一機の経歴と学歴まとめ!
それでは、経歴と学歴についてまとめていきます。
小堺一機の経歴が異色!
小堺一機さんの経歴は異色だと言われています。
- 小堺一機(こさかい かずき)
- ニックネーム むっくん
- 1956年1月3日生まれ
- 千葉県市川市出身
- 相方 関根勤
- 浅井企画所属
- お笑いタレント、コメディアン、俳優
幼少期は千葉県市川市で過ごし、寿司職人のお父さんの転勤に伴い小学2年生の時に東京の浅草に引っ越しました。
この頃、映画への興味を持ち、自動合唱団に所属するなど、華やかな世界に憧れるようになりました。
その後、小学4年生の時に文京区目白台、小学5年生の時に新宿区早稲田鶴巻町へ引っ越します。
大学在学中に芸能界入りし、現在も所属している浅井企画と契約。
本格的な芸能活動を開始しました。
その後順調に活躍の場を広げ、1984年にフジテレビのテレビ番組「ライオンのいただきます」の司会に抜擢!
1991年から後継番組である「ライオンのごきげんよう」が以来、お昼の顔として2016年番組終了まで続きました。
小堺一機の学歴!
それでは、学歴についてまとめていきます。
小堺一機の出身大学はどこ?
出身大学は専修大学のようです。
専修大学 経営学部
偏差値49(当時)
〒101-8425 東京都千代田区神田神保町3丁目8
大学2年生の時にテレビ番組「ぎんざNOW!」のオーディションに参加し、
「しろうとコメディアン道場」の第17代チャンピオンに輝いています。
このオーディションは小堺さんのご友人が勝手に応募したにもかかわらず、
チャンピオンになり、芸能界入りをしました。
当時の小堺さんは、ただテレビに出たかっただけなんだそう。
小堺さんのお父さんは芸能界入りを反対しており、期限付きで芸能界入りを許可してくれたんだとか。
その後、勝新太郎さんが主宰した俳優養成所「勝アカデミー」に入所をしました。
そして1970年代後半に関根勤さんととともに、萩本欽一さんのバラエティー番組「欽ちゃんのどこまでやるの?」に出演し、絶大な人気を得ました。
小堺一機の出身高校はどこ?
出身高校は市ヶ谷商業高校のようです。
市ヶ谷商業高校(現在は閉校)
〒162-0805 東京都新宿区矢来町6
この高校は1923年開校ののち、志望者の減少から都立赤坂高校と統合され、2009年3月に閉校となっています。
小堺さんの高校時代はバスケットバール部に在籍し、
生徒会長も務めていたそうです。
当時はデザイナーを目指し、デザイン系の都立工芸高校へ進学したかったのですが、
健康診断で赤緑視弱が判明したことから、デザイナーの道を諦めるしかありませんでした。
小堺一機の出身中学はどこ?
出身中学は新宿区牛込第二中学校のようです。
東京都新宿区牛込第二中学校
〒162-0044 東京都新宿区喜久井町20
小堺さんは中学時代、陸上部と演劇部に掛け持ちで所属していたようです。
この頃の小堺さんは反抗期で、母親に反抗していたそうです。
反抗する小堺さんは、お父さんからよく殴られていたんだとか。
そんな小堺さんは毎年のように「落ち着きがない」と通信簿に書かれていたそうです。
まとめ
本記事では、経歴と学歴についてまとめました!
いかがでしたでしょうか。
追記情報があれば随時追加していきます。