今回は、静岡県の認定子ども園「川崎幼稚園」の増田立義理事長の生い立ちについて調査します。
通園バスに3歳の河本千奈ちゃんが置き去りになり死亡した事故で、非難の声が後を絶えません。
増田立義理事長はどんな人物だったのでしょうか。
早速見ていきます。
増田立義の生い立ち
増田立義理事長は海軍兵学校出身の父・秀夫さんの元に生まれます。
秀夫さんは、竹刀を片手に「親を大事にしろ」「いじめはダメだ」と厳しく育てていたそうです。
そんな秀夫さんは、お茶の工場を経営していることがわかっています。
“「園長になると聞いた時は、『あいつが園長? 大丈夫なのか?』と思いました。昔からの知人はみんな心配していましたね。あいつの父親は、幼稚園の他にもお茶の工場を経営する金持ちで、いわば立義(増田立義園長)はボンボン”https://t.co/9BGcQitUAs
— 蕩尽伝説 (@devenir21) September 7, 2022
「園長になると聞いた時は、『あいつが園長? 大丈夫なのか?』と思いました。昔からの知人はみんな心配していましたね。あいつの父親は、幼稚園の他にもお茶の工場を経営する金持ちで、いわば立義(増田立義園長)はボンボン
立義理事長はお金持ちの息子だったようです。
工場の場所や名前については特定できていません。
立義理事長がすでに73歳ですから、父親がご健在かもわかりませんね。
詳しい情報が入り次第、追記させていただきます。
増田立義は性格がズボラでボケていた?
73歳にもなる増田立義理事長は、どんな性格だったのでしょうか。
調査していくと、増田理事長がズボラな性格をしていることが徐々に判明してきました。
立義理事長は、父親と真逆の性格で、口癖は「俺は知らない」「そんなこと言っていない」といい加減な性格だったそうです。
事故当日、増田理事長は元々の運転手が欠勤したため、急遽通園バスを運転しています。
園着後の園児の確認は、70代の臨時の職員が行うものだと考えていたようです。
また、川崎幼稚園には園児の出欠を管理するシステムがあったのにも関わらず、誤作動が生じていました。
当日も、亡くなった河本千奈ちゃんも「登園」扱いになっていたそうです。
どのタイミングで登園にしているのかわかりませんが、登園となっているのに園に姿を現さなかった担任にも問題があるように思います。
7日に行われた川崎幼稚園の記者会見では、増田理事長を始め椙山智子副園長がさらに無責任な発言を連発します。
- 会見中発したのは、「原因の究明に努めてまいりたいと思います」という一言
- 河本千奈ちゃんについて聞かれた際、「どの子が河本千奈ちゃんか認識していない」という回答
- 「管理体制の問題件数は分からない」
- 記者に対し「おたくが生まれた時よりもっと前から幼稚園の歴史があり…」自分より年下の記者に指摘されると「おたくが生まれていない」と、答える必要がないような返答
- 過去に運転をした時の降車時の確認をしたかについて「ちょっと記憶がありません」
- 運転手に降園時車内をチェックするように言ってたものの自分は怠っていた
- 忘れ物を確認しようと思わなかったかという質問に対し「園長という習性かなんだか知らないけど、補助の人に任せているという認識」
- 何か急いで車内の確認をしなかった?という質問に対し「病院で待ち合わせをしていた。言っていいか分からないけど」→増田理事長は午前中病院に行っていた
- 出欠管理アプリの導入時期について、時期を把握していない
- 普段は運転手がバスの消毒、掃除をしているものの、当日は行わなかった
これらの受け答えからしても、頭がしっかりと働いていなかったようにも思えます。
それにしても、亡くなった子がどの子なのか認識していない、「園長という修正かなんだか知らないけど」などと、あまりにも身勝手、無責任すぎます…。
こんな方が理事長を務めているなんて、この幼稚園に子どもを預けている保護者からしたら不安で仕方ないでしょうね。
まとめ
川崎幼稚園の増田立義理事長について調査しました。
ズボラでボケていた高齢者が理事長を務めていたなんて極めて遺憾です。
園の不適切な対応など、しっかりと反省してほしいですね。