本記事では、源田壮亮さんの経歴と学歴についてご紹介させていただきます。
そんなライオンズの主将源田選手ですが、プロに入るまで、日本代表に選ばれる選手になるまで、様々な苦悩や葛藤があったようです。
一体どんな経歴や学歴を歩んできたのでしょうか。
本記事にて、深堀りしてまいります。
源田壮亮の経歴と学歴まとめ!
それでは、経歴と学歴についてまとめていきます。
源田壮亮の経歴が異色!
経歴は異色だと言われています。
- 氏名:源田 壮亮(げんだ・そうすけ
- 出身地:大分県
- 生年月日:1993年2月16日 30歳
- 身長/体重:1179cm/75kg
- 血液型:O型
- 投打:右左
- ドラフト:2017年西武3位
- 経歴:大分商高-愛知学院大-トヨタ自動車-17年西武
- 年俸:3億円(推定)
- 成績:22年/108試 率.266 2本 17点 通算/768試 率.272 14本 222点
- 主要大会・代表歴:2019 プレミア12
2021 東京五輪 - 寸評:華麗で確実な遊撃守備は日本一。世界にも示す
- 主なタイトル:2021年 最多盗塁
- 主な表彰:2017 最優秀新人
2018~21 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2022 ゴールデングラブ賞
トヨタ自動車の方にも「うちで2年間やって、プロを目指そうよ」と言われ、
春のリーグでいい結果が出てプロから声がかかり、
2016年のNPBドラフト会議で埼玉西武ライオンズから3巡目で指名され、源田選手のプロ野球人生が始まりました。
2017年3月31日の北海道日本ハムファイターズ戦(札幌ドーム、開幕戦)に、「9番・遊撃手」でスタメンに起用されます。
西武の新人選手が開幕戦に遊撃手としてスタメンで出場したのは1981年の石毛宏典以来36年ぶりということで、1年目から期待をされている選手だということがわかりますよね。
そして、同年オフの11月に東京ドームで開催された第1回アジア プロ野球チャンピオンシップ(APBC)の日本代表に選出され、さらにはパ・リーグの新人王に選ばれるなど、源田選手の力を認められる1年となりました。
2017年以降は、一躍1軍の顔となり、1年目以上の活躍をし続けます。
しかし、2019年も開幕から遊撃手として出場していましたが、4月13日のオリックス・バファローズ戦で山﨑福也から右手首に死球を受け負傷。
右手関節挫傷と診断され、4月14日のオリックス戦ではスタメンから外れ、プロ1年目の開幕戦から続いていた連続フルイニング出場が299試合で止まってしまします。
2020年からは現レッズの秋山翔吾選手に指名され主将となります。
2021年も開幕から遊撃手としてスタメン出場を続けていたが、右太ももの張りを訴えて5月23日の日本ハム戦を欠場します。
さらに同27日の試合前には発熱を訴え、検査の結果新型コロナウイルス陽性と判明。
しかし、療養を経て二軍に合流し、6月15日の二軍戦で実戦復帰し、現在は一軍にも復帰しています。
2023年には侍ジャパンにも選出され更なる活躍が期待できますね。
源田壮亮の学歴!
それでは、学歴についてまとめていきます。
源田壮亮の出身大学はどこ?
出身大学は、愛知学院大学です。
大学野球の世界に飛び込んだ源田選手ですが、
「全国的に見ても強い野球部だから、チームメイトの出身校を見たら甲子園に出てる強豪の人もたくさんいました。自分は強豪枠の選手じゃないからみんなすごいなぁって思ってました」と周囲の環境には驚かされたようです。
しかし源田選手は1年生の春から主に守備固めとしてリーグ戦に出場していました。日々練習を続けていた守備は安定感が増してきましたが、バッティングではいい結果が出せない時期が長く続いたとおっしゃっていました。
それからは、バッティングとしっかり向き合い、色んな種類のティーバッティングを繰り返し自分自身と向き合い続けましたようです。
そんな源田選手に転機が訪れます。
2年生の秋のリーグ戦直前になんと左手の指を骨折して手術をします。
それからは3割を超える高打率を記録したり、大学の日本代表候補に選ばれプロ野球選手になりたいという気持ちが更に強くなったそうです。
愛知学院大学では1年秋から遊撃手のレギュラーに定着し、32打数10安打、打率.313の結果を残し、愛知大学1部リーグ優勝と明治神宮野球大会の準優勝を経験。
4年時には主将になりリーグ優勝に貢献。秋はベスト4に終わりましたが、敢闘賞とベストナインを受賞します。
十分な成績を残します。
それでもプロからの誘いはなく大学卒業後は、トヨタ自動車に入社されていました。
源田壮亮の出身高校はどこ?
源田選手は、大分県立大分商業高校へ進学されました。
ここ最近甲子園出場を何度も果たしている強豪校ですね。
大分商業を選んだ理由として、
「何校からかお話をいただきましたが、その中から大分商高を選択。決め手は吉野賢一郎監督の熱意でしたね」
と語られていました。
大分商業では3年生春の春季大分大会決勝進出が最高で、甲子園出出場はないチームです。
当時のコーチから「強い大学リーグで戦った方がいい」とアドバイスを受け、愛知学院大学に進学されたようです。
このころから源田選手は遊撃手のポジションについていたんですね。
大分商業卒業後は、野球を長く続けるため、そして当時のコーチから「強い大学リーグで戦った方がいい」という助言から、愛知学院大学へ進学されています。
源田選手は高校時代にもプロからの声がかかっていました。
源田壮亮の出身中学はどこ?
出身中学は明野中学校だそうです。
源田選手は中学からは硬式野球の大分明野ボーイズへ入られていたそうです。
同チームは近年、立て続けにOBがプロ野球に進んでおりアマチュア野球にも有望株が多くいるそうです。
こんな素晴らしいチームですが、源田選手の中学時代の情報は詳しく出てきませんでした。
まとめ
本記事では、経歴と学歴についてまとめました!
いかがでしたでしょうか。
追記情報があれば随時追加していきます。