文春オンラインにて、「多くの人を殺した責任は感じません。私は人を殺すために生まれてきた」と供述した大量殺人件の犯人、五味銕雄について連載されています。
今回は五味銕雄についてご紹介致します。
女優一家三人殺し
「女優一家三人殺し」とは、1925年9月に、女優の中山歌子さん(32歳)の宅で、歌子さんの養女のふささん(9歳)と歌子さんの義妹のぬいさん、ぬいさんの結婚相手の清水徹三さんが亡くなった事件のことです。
3人とも苦悶した様子もなく、蚊帳の中にきちんと並んで亡くなっていたため、絞殺だろうという見立てで、犯人も2人ぐらいだと言われていました。
自殺説や中山歌子さん、歌子さんの近親者が当初は犯人として疑われましたが、全員嫌疑が晴れ、犯人が特定できないまま、事件から約1年が経ちました。
歌子さんはその後34歳という若さで病死。
その後、1926年9月に詐欺事件で逮捕された金貸し業を営む、田宮頼太郎が「女優一家三人殺し」にも関与しているという警察署の見立てで、取り調べの結果、強盗の目的をもって中山歌子方押し入ったことを自白したとのことです。
しかし、自白のみで証拠品一つも挙がらず予審決定に至らず、時間だけが進みました。
獄中で結核を患った田宮頼太郎はそのまま死亡し、事件は再度迷宮入りしました。
そして、真犯人は他に必ずいると噂されていたところに、五味銕雄の名前が浮上しました。
五味銕雄の生い立ちがヤバい!
真犯人として浮上した五味銕雄の生い立ちがヤバい!との情報です。
五味銕雄は貧乏一家
五味銕雄は現在の台東区浅草橋に当たる浅草区新福井町に生まれ、3歳の時、母を失い、貧困のうちに成長しました。
そのため、小学校卒業後に運転手としてすでに働き始めています。
妹と父は1925年に死亡し、兄も外国語学校在学中に死亡し、当時は妻子と7人暮らしだったとのことです。
借家に住み、かなり家賃をためていて、実父が死んだ際も葬式の費用100円(現在の約16万円)を借金したこともあったそうです。
五味銕雄の経歴は何?
1915年に小学校を卒業してからが次の通りです。
- 市電運転手
- バスの運転手
- 1919年、東京市街自動車(のち東京乗合自動車)の運転手
- 運輸会社を転々とする
どれも長続きせず、最終的にはトラック運転手をしていた会社を飛び出して以降はブラブラしていました。
五味銕雄が犯罪を疑われた理由は?
五味銕雄の名前が世の中に浮上したのは、1928年で自動車運転手で、37歳とのことでした。
別事件で男性2人と女性1人が亡くなった事件で、被害者から多額の借金をしていたことから、犯人として名前があがった、五味銕雄。
そして五味銕雄の妻が被害者の清水徹三さんの姉ということから、「女優一家三人殺し」でも有力な嫌疑者として過去に取り調べを受けた男であることがわかりました。
そして、捜査が進みにつれ、友人で自動車運転手の田中藤太(40歳)も犯人として浮上。
2つの事件を併合した初公判は1931年3月6日に行われ、五味銕雄は「大体、両事件とも私一人でやるつもりで、田中に手伝わせる気はなかった」と陳述しました。
そして、五味銕雄独自の異様な殺人哲学が話題になりました。
五味銕雄と小野賢次弁護士、小林四郎裁判長とのやりとりが次の通りです。
弁護士 多くの人を殺して責任を感じないか
五味 感じませんね
弁護士 妻の肉親を殺して、妻に対して何と思っているか
五味 自責の念に堪えず、離縁しようと思ったが、金がなく、離婚後の生活の補償をしてやることができず、離婚もできなかった
弁護士 大岡山事件に田中を引き入れ、その後、田中に対してどう考えたか
五味 気の毒したと思い、何とかして金もうけをさせてやろうと思っていた
裁判長 実際責任を感じないなら、何と思ってこの大罪を犯したのか
五味 人の生死は絶対のもので、殺された人は、私でなくとも誰かに殺される運命にあるのだと信じています
裁判長 それで殺したのか
五味 人殺しは私の終生の仕事で、私は人を殺すために生まれてきたものと考えています
出典:文春オンライン
特に最後の「人殺しは私の終生の仕事で、私は人を殺すために生まれてきたものと考えています」という言葉には目を疑いますよね。
2人に死刑が求刑され、その公判でも五味銕雄は「刑務所は居心地が悪くて嫌だから、早く死刑を執行してくれ」と発言したそうです。
まとめ
今回は五味銕雄についてご紹介致しましたが、いかがでしたでしょうか。
大量殺人を犯す犯罪者の殺人哲学について、現在も研究が行われている様ですが、昔と今を比較すると、最近は人間臭さが消えた無機質な犯罪が多く、より事態は深刻化しているようにも感じますよね。